2015/07/07

よくがんばった クレールフォンテーヌ窯のお皿たち ♪

フランスのアンティークの食器の窯の中では小さな窯ではありますが、作ってきたものは当時にしては質の良いものばかりです。
バルボティーヌやブルーカマイユの柄ものの食器、そしてパニエ風のカットワークとレリーフのお皿や、オクトゴナルのお皿まで。

はじめに裏をお見せしてしまいますと、クレールフォンテーヌのブルーの刻印が見えますね。

オクトゴナルの深皿なんですけど、うっすら青い釉薬の白がクレイユモントローを思わせるような色なんです。
(モントローのオクトゴナルはどちらかと言うとクリーム色ですので、この場合は他の白い食器の色ににているという事と19世紀初期の真っ白なオクトゴナルに似ているという事なんです)

 リムのレリーフも丸いパール型ではなく、菱形のものです。
シャンティイかクレイユと同じですね。
クレイユでも、ましてはシャンティイ窯のオクトゴナルは大変珍しいのに、クレールフォンテーヌのオクトゴナルなんて尚更めずらしい!


恐らく19世紀前半のものではないかと思いますが、当時の食器の形というのはあまりバリエーションがないような気がします。

陶器製の食器の生産が間に合わなかったのでしょうか。
他の窯に下請け会社みたいにして似たようなものを作らせたのか、他の窯が勝手に同じデザインのものを作っていたのか、謎なところです。

このパニエ風のカットワークのお皿も、クレイユモントローやリュネビル窯にも見られるデザインです。
今回はブルーのラインが入ったお品です。

 裏側。
刻印が入っています。
見ずらい写真ですみません。

 こちらもクレールフォンテーヌのパニエ風のお皿ですが、ラインは濃いグリーンなんです。
裏にはやはり刻印。


これは1833-1885年の間くらいのお品のようです。


フランス王国崩壊後で陶器製の食器が大量に必要になっていた時期に創業し、創業当初は従業員が十数人しかいなかったのだそうです。
少しづつ人数が増えていき、1873年になり従業員は男性53人、子供15人に増えます。

え?(*_*)
子供って!

子供も働いていたんですね。

最盛期の1893年には男性86人、女性27人、子供39人の合計152人までになりますが、第一次世界大戦の頃には75人と減り、不況の為に1930年代には窯は閉鎖されてしまいます。
(フランス政府の歴史的建造物の資料からの引用です)
それにしても他の窯に比べたら人数が少ないですね。

でも、子供が当時できたことってなんだったのでしょう。
お掃除、とか?

フランス革命後もまだまだフランス国民は貧しかったのでしょうね。

それを考えると大変重みのあるお皿ですよ。


以上のクレールフォンテーヌのお皿たちは、間もなくグルニエイデコのオンラインショップにお目見えいたします♪

店長 イデコ
http://ideco.ocnk.net/



追記:ちょっとお願いでございます。

私の書いている文章を勝手に引用することはなさらないでくださいね。(^^)
なぜなら。。。
間違えている事もあり得るからです!
特に同じテイストの業者様。お願いいたします。

話は違いますが、以前に観光のお仕事でアルルへ行くと、ゴッホの黄色いカフェのある広場で、日本からきている添乗員さんが「カフェの向かいにあるのはゴッホの銅像です」と説明をされていらっしゃいました。
観光客の皆さんは「へえ~、ゴッホだ」と、何気にゴッホにしては肉付きの良い人物の銅像の写真をこぞって撮っていました。

その銅像ネットで検索すると「ゴッホの銅像」として、出てきます。

それは大変恐ろしい事だなと思いました。
なぜならあの銅像は、ゴッホではなくフレデリックミストラルの銅像ですから。。。(^▽^;)

グルニエイデコでお買い上げいただいたものは「店主がこう言っていた」的にお話しいただくには全然かまいません。
でもうちで仕入れたものではないものを、説明だけ引用するのは本当に避けていただきたい。。。
皆さん、よくご自身なりにやられている業者様が大半なのは知っております。
でもたまにお見かけしてしまう方がいらっしゃいますもので。。。
ここでお伝えさせてくださいね。m(__)m
引用するの簡単でしょうけれど。。。

私も間違えますので。
よろしくお願いいたします。
くれぐれもゴッホの黄色いカフェの広場の銅像と同じことになりませんように♪